、チャンと一日三合、けっして量をごまかして減らすようなことはしていなかったのですよ。
特に津和野藩へ預けられた二十八名は選り抜きの信者でテコでも棄教の見込みのない筈の連中だったが、これすらも一日三合に苦もなく降参して拷問にも至らず棄教する者続出ですよ。
私がこの本を読んでいたのは終戦にちかいころの、一日一合七勺、それが十日、三十日という遅配欠配の最中ですよ。実に異様でしたね。どうにもワケが分らんですよ。一日三合、それも白米であるという。それに降参してたくまずして棄教せしめるに至ったという。生ヅメの間へクギを差しこまれたり、雪の降るのにハダカで一夜坐らされても棄教しなかったという勇ましきツワモノたちがなんて哀れにも変テコな降参ぶりをしたものであろうか。まるで、戦争中の日本人は浦上切支丹の最悪の拷問以上の大拷問に平然と堪え忍んでいるようなものではないか。どうも、オレの方が浦上切支丹よりも我慢強いような気がしないが、変テコな話があるものだ。しかし、実にワガハイが一日三合の白米どころか、一合七勺のその十日三十日の遅配欠配にさしたる顔もせず、自分一人アメリカ向けに白旗をふって降参しようなどゝ考えたこともありやしない。すると、オレはそんな偉い人物なのかな。しかし、どうも、一日に白米三合も食べていながら、腹が減って、腹が減って、どうしても神様を売らずにいられん、という妙な切支丹があるもんだとは、不可解であるな。まったく私は当時この奇怪きわまる史実に甚しくハンモンしたものでありましたよ。
しかし、私はこのたび長崎に至り、チャンポン屋へはいって長崎の彼や彼女の例外なき胃袋に接し、十年前に見たそれらの胃袋の怖るべき実績をアリアリと思いだし、
「ユウレカ!
ユウレカ!
ユウレカ!」
浦上も長崎のウチなんだ。あるいは長崎以上の胃袋かも知れないのだ。ワカッタ! オレが一合七勺の遅配欠配に我慢ができても、長崎の胃袋は三合ズツの完全配給に音をあげるのは当り前だ。
実に歴史というものは、むつかしいものだなア。浦上切支丹が一日三合の配給になぜ神を売ったか。それは私が長崎浦上に単に旅行しただけでは分らない。実に長崎でチャンポンを食べてみなければ全然理解しがたい謎中の謎であったのである。
長崎のチャンポン屋へ行ってみないと、浦上切支丹の棄教の秘密が分らんということを、拙者のほかの誰が見破
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