してフィルムのシミでしょうなどと仰有り変なコジツケをなさらない。しかし、撮影した原板は二種あって、そのどちらも山のノドのあたりにヘソができているのだから、フィルムのシミではないし、タダモノではないらしい。
「二ツの写真のどッちにも同じ孔があるのはシミにしては妙ですな」
 と素人が伺いを立てると、学者方は、アッハッハ、とお笑いになる。それ以上は仰有らんな。科学は怪談をよせつけない。しかし、山そのものが火の流れであったり、カルメのようにふくらみつつある怪物だから、こういう妙テコリンなヘソができたりなくなったりするようなことがチョイ/\あっても、素人は一向におどろきませんや。
「この山の底は大いなる空洞であろう。それは確実な事である。そしてその大いなる空洞がいつ凹むか。それは気掛りなことである」
 という意味のことを、私の同行者はしきりにブツブツ呟いていた。彼はまだ三十にならぬ若者である。我々が熔岩の上へよじのぼり黒いデコボコの大原野の一端に立ったとき、彼は足もとの熔岩のスキマから湯気のふきあげるところに怖れ気もなく指を当てて、
「キャッ!」と飛上ってキチガイのように肱《ひじ》をふった。相反する妙なことを喋ったり行ったりする人物で、彼はオモムロにタバコをとりだして、湯気の中へ差込んだが、湯気から火がつくという話はきいた事がないね。しかしこれを現代では実証精神というのかね。
「湯気のために火がつきません」
 彼は嬉々と声高らかに実証の結果を報告する。アメにならないように気をつけてくれ。
 熔岩の熱は、測りに行けるところで千三百度。二千度ちかいところもあるそうだ。こういう高熱は電気を用いて測るのだそうだね。この熔岩が斜面を流れ落ちてくるのが毎秒四米ぐらい。人間が斜面を駈け降りると私のようなデブでも毎秒十米は越すだろうから、イヤ、デブは加速度によって早いかね、追ッかけられても怖くはないらしいや。沙漠まできて平地を這いはじめると、時速二メートル八十センチというから、カタツムリのようなものだ。こういうノロマだから熔岩原の表面は実に怖るべきデコボコだ。しかしこういうノロマな速力で、いつしか広い沙漠を二十米の厚さに埋めたのだから、根気のいいのと気前よく吐きだすのには呆れるね。同行の青年が、地底は穴である。それがいつ崩れるかそれは気がかりであると呟く心事が分らぬことはない。この活動はまだ
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