臣の性格とは大そう、ちがっている。彼は蔭で教祖を支配している総理大臣ではなくて、熱心な信徒的な性格のようでもある。そうかと思うと現代の教祖総理大臣よりも抜け目のないようなところもあるね。この人間は非常に複雑な、多くの人間のタイプや性格を一人で背負っているようなところがある。時に甚しく単純だから、そうきめてかかると手に負えない。よって何人ものスクネが子々孫々いたのだろうというのは昔の史家にだまされている見方であろう。このへんは歴史をのべているのじゃないね。まさしく神話なのですよ。歴史らしく解釈しようとするのは妙な話というべきだろう。神話がいけなければファーブルでもよろしい。
しかし、古代史の上ではこれほど大きな怪人物でありながら、建内スクネ古墳と称してウネビに現存するものは大そうチッポケであるし、史上で表現された功績にも拘らず、彼を祀った大神社というものもなく、つまり、歴史にあるが如き建内スクネという大人物の大行跡が庶民の心に深く長く残って敬愛され礼拝されたという形跡の見るべきものが、あんまりないようである。建内スクネが大忠臣、大功臣として仰がれているのは、むしろ現代が最も甚しく、つまり、現代は記紀にまんまと騙されているような気がするね。つまり、歴史として読むからだ。
私は記紀の史家の作為があるような気がするな。実在していた(伝説的にも)スクネという人物は一向にパッとせず、民衆にあんまり関心を払われていない人物だったんじゃないかな。記紀の史家の巧妙なイタズラと巧妙な構成が成されているような気がする。ああいう怪物的な大存在が当時の民衆の心に深く宿っていないらしいのが、どうにも怪しいじゃないか。裏でカラカラと哄笑している健康でたくましい古代の史家の野性的な笑声がきこえてくるような気がするよ。
むしろ蘇我氏の祖先は大国主系統かも知れないと私は空想するのである。蘇我氏の地たる飛鳥のカンナビ山(イカズチの丘)はミモロ山ともいうね。大国主の三輪山がミモロ山である。馬子の頃に三輪逆という三輪の一族らしくて妙に怖れ愛されているような奇怪な人物がちょッと登場して殺されるが、馬子はこれとジッコンらしいね。ヒノクマの帰化人はじめ多くの帰化人にとりまかれて特殊な族長ぶりを示していたらしい蘇我氏の生態も、なんとなく大陸的で、大国主的であるですよ。私は書紀の役目の一ツが蘇我天皇の否定であると見るから、蘇我氏に関する限り、その表面に現されていることは、そのままでは全然信用しないのである。
ともかく、大和を中心にした夥しい古墳群(ミササギも含めて)は小心ヨクヨクたる現代人のドギモをぬくに充分な巨大きわまるものだね。玄室の石の一ツの大きさだけでも呆気にとられるね。それらの古墳は、どれが誰のもので、誰の先祖だか、実はてんで分るまい。記紀が示した系譜なるものが、実は誰が誰の祖先やら、人のものまでみんな採りいれたり、都合のわるいのを採り去ったりしているに相違ないと思われる。
しかし、大そうな豪族がたくさん居たことだけは確かだね。その子孫はどこへどうなったものやら。ヒノクマの帰化人などもどこへどうなったものやら私自身がそれを探りだす能力はとてもないね。
八木で電車を降りるとき、五尺五寸ぐらいもあって肉づき美しく、浄ルリ寺の吉祥天女そっくりの白いウリザネ顔のお嬢さんを見た。あの土地で、否、あの土地へ着いた時に見たから、甚しくおどろいたね。しかし、幻でした。なぜなら、その時以来は目を皿にして行き交う男女の顔や形を見つづけたが、昔をしのぶ男女の顔形はついに再び見ることができなかったからです。
当り前の話だろうね。幻さ。すべての時間が。
底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二九巻第八号」
1951(昭和26)年6月1日発行
初出:「文藝春秋 第二九巻第八号」
1951(昭和26)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2010年1月13日作成
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