たは、蘇我氏とともに亡びた。しかし、蘇我氏の亡ぼされた如くに、それらの記録も亡ぼされた、ということを一度は疑ってみても悪くはなかろう。焼ける国記を恵尺がとりだしたということは、弁解的な筆法で、事実はアベコベにそれを焼いたのが彼ら自身だとみることも、歴史家や学者はやらないかも知れないが、タンテイというものはそういう下司なカングリをやらかすものなのさ。こッちは学がありません。素人タンテイというインチキ岡ッピキの三下ヤッコですからね。
素人タンテイの心眼だから我ながら鋭い把握はないのだが、しかし「上宮聖徳法王帝説」という本を読むと、どうも妙だな、と思うことがあります。私は二十五年前の坊主学校の生徒だったから、否応なくこの本を読まされたのですよ。日本仏教史をやると、書紀の仏教渡来年代の誤りというカドによって、この本だの元興寺伽藍縁起併ニ流疏記資財帳などを読まされますよ。なるほど欽明戊午と書いてあるな。しかし、そういうことは、大したことじゃないね。欽明戊午だろうと、一二一二だろうと、十年や二十年のヒラキはコチトラの知ったことじゃアないね。夢想的な素人タンテイというものは、そういうコクメイなこと
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