的に合理的な正系であるにしても、民衆の感情は熊沢天皇をうけいれはしないね。民衆の感情にとっては今の天皇が天皇のすべてで、熊沢覚道氏は名古屋の雑貨屋にすぎないのである。
 もっとも、かりに革命が起り、別の王様が国をとる。その初代目は民衆の多くに愛されないかも知れないが、二代目はもう民衆の自然の感情の中でも王様さ。否、うまくやれば国を盗んだ一代目ですら民衆の憎悪を敬愛に変えることができるかも知れん。民衆の自然の感情はたよりないほど「今的」なものだ。時代に即しているものだ。戦争中東条が民衆の自然な感情の中に生きていた人気と、同じ民衆の今の感情とを考え合せれば、民衆の今的なたよりなさはハッキリしすぎるほどでしょう。たった六年前と今とのこの甚しい差。別に理論や強制と、関係なく現れてきた事実だ。単に時代と共に生きつつある民衆というものの自然の感情は、永遠にかくの如きものさ。
 万世一系だの正統だのということを特別の理由とする限りは、蒙昧な呪術的な神秘迷信時代の超論理や詭弁をもって一国の最後的な論理とする愚かさ危さをまぬがれることはできない。日本の運命を古事記的な神がかりにまかせておいて文明開化を導
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