篇の中で、ただ一ツ調子が妖しく乱れて、テンカン的にざわめき立っているのがこの一ヶ所であるのを知れば、書紀成立の重大な理由の一ツが天孫たる天皇家の日本の首長たる神慮や定めを創作するにあったというその最も生々しい原因が蘇我天皇の否定、蘇我天皇よりも現天皇の優位を系譜的に創作する必要に発していたと見てよかろう。蘇我天皇の否定、現天皇の優位を理窟づけることは、さしせまった大問題であったのだ。ことその条に至るや妖しくも調子が乱れてざわめき立たざるを得なかったほどの大問題であったのさ。蘇我氏とともに蘇我氏の国記を亡して、自分の国記を創る必要があったのだろうね。
歴史家でも学者でもない私は、文章の調子から歴史をタンテイするという妖しい手口を用いたのですが、しかしタンテイするためにムリにその手口を発明したわけではないのです。たまたま書紀にそういう文章があって、同時に上宮聖徳法王帝説という妙に冷静な欠字をもった書物があったということが、おのずからムラムラと私にタンテイの意慾を起させただけのことです。しかし、こういうことを発《あば》くことが現天皇家に何の影響もありうべからざることは前章でルル述べた如くであり、歴史というものは、たとえ素人のタンテイ眼を用いてでも、その正しい史実をもとめるべく努力することが理にかなっているということを明にしたかったからであります。学問は真理をもとめて真理を語るものであるが、つとめて真理をごまかそうと努力している学問は日本歴史あるのみ。日本の史家が真理をもとめようとしないから、素人タンテイが柄にもなく言わざるを得ないのです。素人タンテイのナマクラ手口に対する諸先生のお叱りは覚悟の上であります。
さて、かりに私のタンテイの結果を認めることにすると、書紀に於いて蘇我氏が素性のない成り上り者ではなくて、建内|宿禰《すくね》という怪人物の子孫に表現されているということには、いろいろと意味がありそうだね。しかし建内スクネとは何者ぞや。これはどうにも分りッこないね。まったく神話という太古の湖の底の存在だもの。湖面にはなんの手がかりがあるものですか。
だが、記紀から判断すると神功皇后は神がかりして予言などを行うミコや教祖の実力を具えていたようだ。すると建内スクネは教祖の参謀長、否、総理大臣かね。それにしては、その後のスクネが妙に忠実な番頭で、現代に於ける教祖の総理大臣の性格とは大そう、ちがっている。彼は蔭で教祖を支配している総理大臣ではなくて、熱心な信徒的な性格のようでもある。そうかと思うと現代の教祖総理大臣よりも抜け目のないようなところもあるね。この人間は非常に複雑な、多くの人間のタイプや性格を一人で背負っているようなところがある。時に甚しく単純だから、そうきめてかかると手に負えない。よって何人ものスクネが子々孫々いたのだろうというのは昔の史家にだまされている見方であろう。このへんは歴史をのべているのじゃないね。まさしく神話なのですよ。歴史らしく解釈しようとするのは妙な話というべきだろう。神話がいけなければファーブルでもよろしい。
しかし、古代史の上ではこれほど大きな怪人物でありながら、建内スクネ古墳と称してウネビに現存するものは大そうチッポケであるし、史上で表現された功績にも拘らず、彼を祀った大神社というものもなく、つまり、歴史にあるが如き建内スクネという大人物の大行跡が庶民の心に深く長く残って敬愛され礼拝されたという形跡の見るべきものが、あんまりないようである。建内スクネが大忠臣、大功臣として仰がれているのは、むしろ現代が最も甚しく、つまり、現代は記紀にまんまと騙されているような気がするね。つまり、歴史として読むからだ。
私は記紀の史家の作為があるような気がするな。実在していた(伝説的にも)スクネという人物は一向にパッとせず、民衆にあんまり関心を払われていない人物だったんじゃないかな。記紀の史家の巧妙なイタズラと巧妙な構成が成されているような気がする。ああいう怪物的な大存在が当時の民衆の心に深く宿っていないらしいのが、どうにも怪しいじゃないか。裏でカラカラと哄笑している健康でたくましい古代の史家の野性的な笑声がきこえてくるような気がするよ。
むしろ蘇我氏の祖先は大国主系統かも知れないと私は空想するのである。蘇我氏の地たる飛鳥のカンナビ山(イカズチの丘)はミモロ山ともいうね。大国主の三輪山がミモロ山である。馬子の頃に三輪逆という三輪の一族らしくて妙に怖れ愛されているような奇怪な人物がちょッと登場して殺されるが、馬子はこれとジッコンらしいね。ヒノクマの帰化人はじめ多くの帰化人にとりまかれて特殊な族長ぶりを示していたらしい蘇我氏の生態も、なんとなく大陸的で、大国主的であるですよ。私は書紀の役目の一ツが蘇我天皇の否定である
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