て秀吉や家康をごまかし、その死するや、切支丹と禅寺と両方に葬式が行われて、墓も二ツできるという妙なことになった。昨年だったか、切支丹の墓の方が発掘されて、そこからは何も出なかったということである。さもあるべきことである。如水は宗門に殉ずるような殊勝な人物ではない。その子の長政も同様で、万全を期してはかっているのは保身だけだ。他日幕府によって取りこわされ発掘されるかも知れない切支丹の墓に遺骨や遺品の一部でも渡すようなことが万々あろうとは考えられないのである。
 政宗の支倉《はせくら》六右衛門の海外派遣も見透しの大失敗であった。だいたいに彼は海外事情について研究したことがないようだ。これがまた田舎豪傑たるところである。家康が切支丹を禁教するまでには、当時としては出来うる限りの手をつくして海外事情を研究しているのである。ウイリアム・アダムスについて幾何学の初歩の手ほどきを受けたというのは、どういうコンタンだか分らないが、海外研究の一助にはなったであろう。多くの面から海外事情をコクメイに調べて、切支丹を禁教しても新教国のオランダと宗教ぬきで貿易できる見究めがハッキリしてのち切支丹を国禁した。新
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