る。しかし、瑞巌寺は二級品ですよ。方丈の屋根だけは美しいと思ったが、襖絵なんかは悲しいね。秀吉の遺した桃山芸術、智積院の襖絵だの三十三間堂の太閤塀などという豪放ケンランたるものの片鱗すらも見られない。今は失われた秀吉の多くの建造物は、残った部分品から推察しても壮大ケンランたるものであったことが推察できる。そのようなケンラン豪快なものは、ここには見られない。中尊寺や失われた毛越寺の一流品的な性格も意図も見ることができないのである。彼は関ヶ原の時に至っても、ドサクサまぎれの火事ドロ根性を忘れなかった。彼と好一対をなすのは九州福岡の黒田如水で、西と東でドサクサ狙いのいずれ劣らぬ田舎豪傑。夙《つと》に中央に接し、中央の軍略政略に参与したこともあるだけに、如水の方がアカ抜けているが、ドサクサの一旗組というものは所詮その根性の本質に於て泥くさく、そのドサクサを狙うや概ね見透しをあやまる宿命であるらしい。切支丹《キリシタン》を利用するコンタンに於ても、二人は同じように見透しをあやまった。如水は窮余の策として、切支丹信者であると同時に、禅宗に帰依し、禅寺をたてて高僧をむかえるという前代未聞のことをやっ
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