んだ秀吉が、新時代に即応して変化すべきことを心得ていたに反して、政宗には、それがない。バカの一ツ覚えである。ここが田舎豪傑たる彼の宿命のところであった。信長に学ぶならばその精神、その思想の原則をなすものを見習うべきである。信長は彼の生きた時代に於てはあのように行った。しかし新しい時代に彼ありせば、それに即応して別のように行ったであろう。その理が田舎豪傑には分らない。それが分れば田舎豪傑ではないのである。
田舎豪傑にもウヌボレや抱負はある。むしろ有りすぎて困るのが田舎豪傑のウヌボレと抱負なのかも知れない。彼はいつも時代におくれていた。彼の経綸《けいりん》は常に後手をふんだ。秀吉に小田原石垣山の陣屋へよびつけられて油をしぼられた二十四のザンギリ髪の異形児は、はじめて天下の大を身にしみて味い、とても関白だの将軍だのというものにはなれないと悟ったらしい。せめて平泉の藤原氏のように奥州だけでも征服してその親分に、ただし平泉のように身を亡さずに子孫代々そうありたい、というような心得になったようだ。彼が生前に松島に瑞巌寺をたて自分の廟所に予定したのも、平泉的でもあるし、信長の総見寺という御手本もあ
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