りません。
 青葉山を降りてくるとき、お喋りしながら登ってくる十名ばかりの女学生とすれちがった。完全に一語も分らん。叫ぶ声まで、異様で、判断がつかないのである。私も自信を失って悲しかったね。文士だからねえ。言葉が商売なんだ。言葉と表情と場合とを綜合すれば、なんとか判断できるはずだと思っていたんだよ。ハッと思ってミッちゃんの言葉を書きとめておいたのを御紹介に及ぶと、
「ンだまア。ビッチラ、ビッチラ……」
 あとは書きとめることもできない。意味は今もって分りません。全然一語も分らないのだから、一ツや二ツの言葉の意味をきいてみる気持にはなりませんよ。案内役の井上君は東北大学の出身、二年半仙台にいたのだから、なんとか判断はつくようだが、通訳がつとまるほどは分らないのである。ゴザリスデゴザリス、というのは分った。ゴザイマス、という意味のゴザリス、一ツだけでは敬意が足らないという気持で、もう一ツ足してゴザリスデゴザリス。敬語の発生は尊敬の念からだけではないね。もう一ツ、計略的な下心もありますね。言い訳。言葉だけで間に合そうという下心。とにかくゴザリスデゴザリス的な言葉は、時によって、きく人を悲しく
前へ 次へ
全50ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング