って印象にのこるような唄ではない。私が感心したのは、このミッちゃんという人の唄い方だ。態度である。座敷で今までベチャクチャ喋っていた時とガラリと態度が変って、唄と戦争するような物凄い真剣な気魄がこもるのだ。これだけは見事でしたよ。イノチをこめて唄うのだ。ミジンも弛みがないね。全身に烈々気魄がはりわたっていますよ。唄には全然感動しなかったが、あの真剣な気魄には、私は思わず涙が溢れた。彼女の母も一生「さんさしぐれ」を唄って死んだんだそうだ。母ゆずりの「さんさしぐれ」を彼女も一生唄い通しているのである。仙台へ遊ぶ人は五軒茶屋でミッちゃんのすさまじい気魄のこもッた唄いッぷりだけ観賞するのを忘れなさるな。なおミッちゃんという人は芸者ではない。母の代からこの茶屋に住みついている唄い手だそうだ。座敷を一足でると、はりさけるような仙台弁で階下の帳場へ呼びかけて話をしている。これが仙台弁のききはじめだったが、全然わからないね。私も言葉が商売の文士であるし、生れは雪国の新潟で地域的には東北と通じないこともないから、仙台弁をきいても、だいたい判断できるだろうと思って旅立ったのである。とても、分らん。一言も分
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