いたが、なるほど兵隊から流行したのだからそうかも知れんが、私は歌詞を多く知らないから、なんとも云えない。しかし「さんさしぐれか茅野の雨か、音もせで来てぬれかかる、ショウガイナ」というのは男色的でもあるかも知れぬが、女色とみて不適当ではないし、その方に見るのがムリのない見方ではないかね。もっとも、ほかの歌詞については私には知識がない。
三代目の綱宗が例の吉原の遊女高尾事件を起して隠居謹慎し、その時以来、仙台から遊女屋を追放して塩竈へうつしたのだそうだ。ムダなことをしたものさ。男の子は往復に十里歩くムダがふえただけである。藩政時代には料理屋も市内におかなかったそうだ。そこで料理屋は町境いの木戸から外にズラッと並んでいたそうだ。元が五軒だったので、五軒茶屋と云ったそうだが、その一軒が今も残って五軒茶屋を名のっている。私はそこへ案内された。なぜなら、そこに仙台一の「さんさしぐれ」の唄い手がいるからである。
私が仙台で一番印象に残ったのは、この、「さんさしぐれ」の唄い手のミッちゃんという人である。もう四十いくつだそうだ。「さんさしぐれ」という唄は唄い方がむずかしいばかりで、どんな名人が唄った
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