たのは支倉渡航の方ではなくて、そのモミケシ、後始末の方なのさ。彼の生涯はいつも後の始末に必死なのだ。いつも気のつくのが手おくれだから、仕方がなかったという彼の悲しい運命なのである。
支倉一行が舟出したという月の浦は牡鹿半島の西海岸にあるね。ちょうど自動車がその上の山道を走っているとき故障を起して四十分も動かなくなったので、自然に舟出の跡を見物しましたよ。ひどくヘンピなところだが、ここから舟出したということは、要するに、貿易をはじめたらここを長崎式の指定港にするツモリだったのだろうね。ヘンピな半島を選んだのは、やっぱり彼の本心が切支丹を好んでおらず、それが都に近づくことを敬遠したせいではないかね。
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名物にうまい物なし、で、伊達家時代から名題のうまい物などを探す方がムリではあるが、まったく何もないね。
「さんさしぐれ」という唄が天正頃から仙台にはやって残った名物だそうだ。しかし、仙台生れの唄ではないようだ。まったく上方調である。上方の方へ出陣した兵隊が、当時の都の唄を自分流に覚えて帰って流行したのだろうという話である。歌詞は男色をよみこんだものだという説をき
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