まア平地的なところに在るべきもんだね。こんな断崖絶壁のテッペンへ造るべきものじゃアないね。
政宗にしてみれば仕方がなかったのだ。彼は田舎策師だから、人の策謀を邪推する。平和な時代に築城して、それにインネンつけられて亡されては大変だと思うから、石垣もつくらず、天守閣もつくらず、天嶮のテッペンへスキヤ造りをチョコンとのっけた。時世が変ってみれば、城山のテッペンがバカ高いので迷惑したのは政宗当人さ。後手々々と、やること為すこと、まったく御苦労千万な豪傑なんだね。
今でいうと何の病気だか知らないが「御腹ノ脹満囲三三尺八寸五分ナリ。御胸ヨリ上、御股ヨリ下ハ御|羸疲《るいひ》甚シ」という容態で、それを我慢して将軍へ今生のイトマ乞いに上京した。将軍の使者が見舞いにくると衣服を正して出迎えてアリガタイ、アリガタイと感動するから容態がそのために悪化したという。そして江戸で死んだのである。日本征服どころの話ではないのだ。青葉山築城以来その死に至るまで、一貫して必死に計っているのは伊達家のささやかな安泰ということだ。彼が必死の全力をこめて舟を造り海外貿易を志したと見たら大マチガイ。彼が必死に全力をつくし
前へ
次へ
全50ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング