たのは一風変った処刑として名高い話。政宗だけがそうではないのだ。もっと歴《れっき》とした本物の切支丹大名が家康の禁教令の断乎たるのに慌てふためき、にわかにそれぞれ迫害者になったのだから、田舎策師の政宗などは無邪気な方であった。
 せっかく青葉城の天嶮に城下を定めても、とたんに天下の形勢が変って、もはや天下に戦争なしという時世の到来である。青葉山のテッペンに天守閣を築かず、スキヤ造りの家を造って本丸にかえたり、石垣をきずかず自然にまかせて本格的な築城をしなかったのを、彼の本性豪放の性の然らしむるところであり、しかも彼の風流心の致すところであるとでも考えたら大マチガイであろう。要するに、みんな見透しが狂ったのだ。その滑稽きわまる産物である。
 考えてもごらんなさい。汗ッかきの拙者だけが音をあげたわけじゃアありませんや。築城した当の政宗先生が音をあげて、オレの次の代からは本丸をフモトへうつせよ、と遺言するような途方もない天嶮を選んだ以上は、大天守閣を造るのが当り前さ。そういう万全の戦備なければ選ぶべからざる天嶮じゃないか。スキヤ造りというものは、小イキな築山かなんかと相対してはいるにしても、
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