際よく外国事情を調べたのである。その結論として、徳川家の日本統治を万代不易たらしむるには、鎖国がなによりカンタンで、心配のタネがないにきまってるさ。万里の海をへだてた外国が、日本へ千人の兵隊を無事に辿りつかせるだけでも容易でないのに、侵略などということを当時としては当面の大事として考える必要はなかったろうね。鎖国したって外国の兵隊の侵略がありうることに変りはなかろう。むしろ当面の大事は諸侯の自由貿易で、強力な海外文明が諸侯に利用される方が保守家たる家康には頭痛のタネであったにきまっている。政宗は家康が内々何より頭痛のタネになやんでることを怖れげもなく大々的にやろうというのだから、この田舎豪傑の眼力のとどかぬことは論外なのである。いつもながら後で気がついて大狼狽、大冷汗をながすのである。
政宗の計略は日本在住のバテレンたちに早くも見破られていた上に、支倉一行が向うへ到着してのちに、家康の宣教師追放、ヤソ教迫害がはじめられた。一行が政宗のいい加減な信書を国王や教皇に奉呈しても相手にされなくなったのは仕方がなかったのだ。
ソテロと支倉はエスパニヤ国王に歎願書をだして「家康が迫害したって、
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