ず石という石がミカゲ石だね。牡鹿半島の石は、非常に大きな、たとえば公園の記念碑のような一枚石をカンタンに道路用などに用いているのが特色さ。
 私が牡鹿半島を南下したのは、鮎川という南端の漁港へ行くためだ。鮎川といったって鮎がとれるわけではありません。ここは鯨とりが専門の港なのです。金華山といえば鯨と思いつくのは常識ですが、その金華山沖の鯨を一手に捕っているのが鮎川町です。皆さんは御存じかも知れませんが、私はこの地へくるまでこんなところに捕鯨専門の漁港があることを知らなかったのです。
 むかし、むかし、紀州に覚右衛門とかいう捕鯨の大親分の大金持がいた話は物の本でよんだことがあったが、今まで捕鯨といえば南氷洋、プロ野球でオナジミの大洋漁業とか日本水産というところが大いに活躍している程度のことしか知らなかった。
 第一、私は戦争中、イルカとクジラの肉には散々悩まされた記憶が忘れがたいのだ。銀座へんの食堂へ行列して洋食を食う。ビフテキだのコロッケだのと云うのが、みんなクジラだのイルカの肉だ。食ったが最後、二三日鼻のマワリに臭気が残って、思いだすと吐きそうになる。そのために私はコンリンザイ洋食屋へは行列せず、どんなに無味であるにしても雑炊食堂の方をむしろ選んだのである。
 鯨にはうまい鯨とまずい鯨と二種類あるのだそうだ。白ナガス鯨、イワシ鯨、小さなミンク鯨というあたりが美味の由。私が捕鯨の町、鮎川へ行ってきます、というと、仙台の人たちは、クジラのサシミはうまいですよ、という。バカにしなさんな。クジラの肉が手に負えない臭い物だということは骨身に徹して知ってるんだ。いくら東北にうまい物がないたってクジラのサシミをほめるとは、とバカバカしくて仕方がなかったのだが、さて鮎川でクジラの肉を食ってみると、決してクサイ物ではない。
 マッコー鯨の肉などはクサクて手に負えないそうだ。戦争中も近海捕鯨は大いにやってたそうだが、近海でとれるのはマッコー鯨とミンク鯨が主だ。ミンクはうまい鯨だそうだが、うまいのはカンヅメかなんかにして兵隊さんや、軍需工場やその他のお歴々の手に渡り、一般に流されて我らの口にはいるのは手に負えない奴であったのだろう。
 なるほど、クサクない鯨というものは、むしろ特有の味をもたないにちかいようだ。私が食ったのはスノコという部分のカンヅメと、ジャガイモと一しょに煮つけた肉だけであったが、煮つけの肉は牛肉のコマギレと云ったって気がつかずに食ってしまう人が主だろう。スノコのカンヅメも特にクジラと云われないと、牛と豚のアイノコ、ハムの大和煮(そんな変なのはないだろうけどね)みたいな、ちょッといける物じゃないかと思う程度に食える。一番うまいのはヒレに近い尾の方の肉、ここがサシミで食うところだそうだ。
 鮎川の町を案内してくれたのは、鮎川町の警察署長さん。ここまでくると、署長さんもノンキだね。バスが一日にたッた一ッぺん通るだけだもの、犯罪なんて有りやしない。実際バスが一日にたッた一ッペン通るだけですよ。だから牡鹿半島の子供は、自動車というものになれていませんね。私たちのタクシーが通ると、道の子供、七ツ八ツの女の子がベロをだしたり、何か汚らしく喚いたりする。その憎々しげな表情から、呪咀の言葉をわめきちらしているのだろうと想像できる。また、男の子は、石をぶつける者が多い。二十五六年前に中部山岳地帯へ行くとこんなことがあったりしたが、今は牡鹿半島ぐらいのものだろうね。
 私たちのタクシーは、故障を起してひどい目に合った。石巻にタクシーは二台しかない。クッションはボロボロで腰かけるのが気持がわるいような車だが、それでも二台のうちでは良い方の車なのである。往路では月の浦の上で四十分間故障。復路では山林中でシャフトが折れて三時間立往生。幸い代りのシャフトを用意していたから(チョイ/\故障やるから用意は万全だ)どうにかシャフトをつけ代えたが、新しいシャフトがちょッと長すぎるのである。そこでシッカリはまらないのだ。ようやく三時間目に動きだしたが、カーブにかかると、ギギギギーと音がして車輪が外れる。ちょッと動くと、また外れる。なんべん外れたッけねえ。泣きましたよ。夜になって救援の自動車がきてくれたが、この方はもっとボロボロの車で、窓のガラスに板をクギでうちつけてあるという古世代的な怪物。石巻のタクシーはこの二台しかないのである。往復に前後八時間ちかく自動車に乗っていたが、すれちがった自動車が一日中に三台しかないのだ。一台は赤いユービン車。次は材木をつんだトラック。次にバス。このバスの車掌に鮎川へつき次第石巻へレンラクして救援車をさしむける手配をたのんだのである。こう自動車が通らないのは、交通安全で結構だが、時に甚しく心細いね。自動車が珍しいのだから、また高いや。
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