美しい島々に海水浴場をひらけば好評をうけるのは当然だ。またこの美しい海でヨットだのボートだのをたのしむこと、そのようなことの方がむしろ真に愛されるものとなるだろうね。
塩竈神社というのは、実に景気のよい神社であった。伊勢の神様をはじめとして、たいがいの神様が甚しく景気がわるいというのに、塩竈神社は景気がすごいや。まず驚くのは白衣に赤い袴の神様に奉仕の娘さんがタクサン雇われていることだね。まるで境内で鹿を放し飼いにしておくような要領で、この神社の山上高くて広々した境内のあッちこッちに、白衣赤袴の娘さんの幾群かが庭掃除をしていたり、サイセン箱をのぞいていたり、散歩していたり、放し飼いにしてあるね。たッた一人の神主すら満足に食えないような時世に、ここだけは実に盛大なものさ。
なんしろ安産の神様だ。戦争に負けたってビクともしないや。人類ある限り人類とともに共存共栄しようという絶対的な神様なんだね。人類とともに、否、人類の苦痛とともに、かね。無痛分娩という調法な術が行われるに至ると、この神様もついに主たる御利益を失うに至るらしい。目下は安産にからまるモロモロ、たとえば結婚式にまでさかのぼッて取り扱い、さてこそ白衣赤袴の娘さんが続々と入用なのだそうだ。
仙台藩の城下から追放した遊女屋はこの神様の真下、表参道の鳥居両側にズラリとあるのだが、高尾を斬った仙台の殿様の虚無的な皮肉なのだか、敬神の思想によるのか、全然判断がつかねえや。神詣でのフリして遊女屋へ行けという非常に至れり尽せりの思いやりかも知れないな。今なら、PTAが怒るだろう。
安産からさかのぼッて結婚式に到るまで、神様自体が手びろく営業しているように、この神様の表参道入口には遊女屋が神恩を蒙って営業し、裏参道入口にはサフラン湯本舗というのが同じく神恩を蒙って営業しているよ。これ即ち何物かと云えば、中将湯と同じような血の道とやらの薬だとさ。サフラン湯主人は昔へルプという薬の広告にあった美髯《びぜん》の色男によく似ていたよ。安産のお詰りついでにみんな血の道とやらの薬を買うらしく、これも景気がいいらしいや。真ッ昼間、一時ごろというに、昼酒をきこしめして、良きゴキゲンだったね。案内の塩竈市役所の理事さんと友達で、私の名をきくと追ッかけてきたね。私は裏参道の入口でクルリとふりむいて戻りかけていたのさ。なぜなら、青葉城以来、高き山には登らぬという平和主義者に変っていたからである。彼は私の背中に手をかけてクルリと神様の方向にねじむけ、
「ダメ、ダメ。塩竈へきて塩竈神社にお詣りしないという手はないて」
神様とともに共存共栄しているから、強硬に私の方向をネジ変えてしまったネ。私は無抵抗主義者でもあるから、テッペンの本殿へ参拝してきました。新婚の井上君はサフラン湯をもらって、実にこの上のよろこびはないというような顔であった。新婚というものは、こういう心境になるのかね。塩竈神社もはやるし、サフラン湯も昼酒に酔っぱらッていられるわけさ。サフラン湯よりもハンニャ湯が身体によくきくのは分りきった話だね。
さて市役所の理事さんが私に語ってくれた話というのが、現代神話としては傑作の一ツだったね。
私の行った十日ほど前に塩竈神社の祭礼があった。一足おくれて、実に残念千万な話さ。この祭礼にミコシがでる。百四十貫ぐらいのミコシで、十六人で担ぐのだそうだ。このミコシが天下無類の荒れミコシで、まず表参道を走り降りる。ところがこの表参道というのが目のくらむ急坂なのだ。私は六十五度ぐらいと云いたいが、まア、六十度にまけておこう。坂と絶壁のアイノコぐらいの急坂ですよ。だから参詣人は殆んど表参道を登りやしない。もっとも表参道は木戸番が遊女屋でもあるがね。この急坂が二百十何段の石段になっているのである。この急角度をミコシを担いで降りるということが大体に於て素人には信じられないことなのだが、ここを一気に駈け降りる。ところがだね。降りきってしまうと、降りた姿で、つまり後向きのまま、にわかにダダダダッとこの急坂を駈け登るというんですなア。これ即ち人間の力ではなく、神様の力であり、神意也というのだね。
ここまでが前奏曲。かくてこの荒れミコシが市街へとびだすと、どこへどう走りこみ突き当るか、担いでいる十六人には分らない。人家へヒンパンにとびこんで戸障子を破壊し置物をひっくり返し人々を突き倒すが、ガラス戸を破ってくぐりぬけても担いでいる十六人だけは怪我をしたことがないそうだ。
あんまり暴れ方が激しいので、大問題となった。検察陣が出張して取調べることになったのである。神社側やミコシの担ぎ手は、人間が企んでやることではなくて、ミコシが自然に走りだすことで、神意だという。検察陣はそんなバカな。人意だ。こう疑るのは尤も千万なことだろう。
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