ているのである。
ここ二年ほどイワシがまるでとれなくなった。寒流異変によるのだそうだ。イワシがとれないと三陸の漁港はみんな参ってしまうらしいね。なぜなら上物の魚は加工に適しないが、イワシこそは加工の最大の原料だ。漁港都市の人口は加工業の労働で主として支えられているのだから、イワシがとれないと市全体が参るのだね。銚子もそうらしい。
不漁だと云ったって、とにかく何万の人口を一手に支える魚なのだから、素人の目には大したものです。私は現在伊東市という温泉都市に住んでいるが、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街がある。私は去年は早朝に魚市場へ散歩に行くのが習慣だったから、伊東の水揚げはずいぶん見たが、とても三陸の漁港とでは問題にならない。伊東の何倍もある大きな市場に忽ち魚の山ができて、とても、このへんでは想像のできないものだ。
塩竈では港の市場のほかに、市街地の中にある小売市場を見た。小売市場は二ツあって、一ツは加工品専門だ。これにはおどろいたね。多くの人口が加工業でうるおッているわけですよ。こんなにいろいろの加工品があるものだとは知らなかった。みんな東京へ送りだされているそうだが、私は百貨店の食料品部などを訪問することがないから、てんでお目にかかったことのない品物ばかりさ。なんというのか知らないが、たいがいはハンペンやチクワの一族らしく、ゴボー巻きもあるし、焼いたり揚げたりしたのもあるし、丸太ン棒のような魚の干物もいろいろあらア。ノリが多いし、いろんな海草の加工品もまた多いね。
カツオとマグロはカンヅメになって米国へ輸出されるが、これが七面鳥の味に似ているので大モテだそうだ。そう云えば私も思い当るよ。私は今年の元旦にアメリカの飛行機にのったら、ボイルした七面鳥の肉を食わされたね。私はそれを食いながら、そのとき、すぐ思った。私がむかし京都伏見の天下に稀れな安食堂の二階に下宿してゴロゴロしていたころ、毎日のようにボイルしたカツオ、これをナマリと云うそうだが、毎日々々食わされたネ。つまり一番安いからだろうね。なんしろ一食が金十二銭だからね。
なるほど、七面鳥とナマリはよく似ているよ。味が似ているだけではない。色も似ているし、薄くきった切り口までよく似ている。七面鳥なんてものは、ボイルしたのは、つまりナマリそのものだね。なんしろ天下に稀れな安食堂で毎日ムリヤリ食わされたナマリだもの、よッぽど安いものなんだ。以後われら貧乏なる日本人は、七面鳥と心得てナマリを食うにかぎる。拙者の舌に狂いはないです。七面鳥とナマリは同じものさ。アメリカ人がよろこぶわけだよ。拙者なぞは京都にゴロゴロしていた一年半というもの、ひでえ貧乏ぐらしだと思っていたが、実は毎日毎日毎日毎日クリスマスを祝っていたんだね。ブルジョアの生活とは何か。実に分らないもんだ。
また、このへんの静かな湾内に(アンマリ静かでもないようだがね)タネガキというものを養殖してアメリカへ輸出しているね。塩竈、渡波、それから牡鹿半島のどこかの湾で、もう一ツこの養殖場を見かけたように記憶する。つまり三年もたつと食べられるカキに育つそうだが、送りだすタネガキというのは肉眼で見えないようなものだそうだね。このタネガキは、アメリカの海でも育つそうだが、あッちの海でタネガキ自体は目下のところ出来ないそうで、まア当分は輸出をつづける見込みがあるらしい。
ノリのシビが盛大に突ッたッてるのは東京湾だけかと思ったら、塩竈から松島めぐりの観光船の道中がノリシビのなかを漕ぎわけて行くのさ。塩竈湾内はその港内まで、船の通る道をのぞいて、みんなノリシビだね。そして頭の上には海猫というのが啼き舞っているね。見たところはカモメのようだが「ニャーオ」といって猫と同じように啼くのさ。
松島と牡鹿半島ひッくるめて国立公園に申請しているそうだが、どうも土地の人というものは他との比較を知らずに自分の故郷をほめるから困るね。牡鹿半島はとても国立公園というようなものではないね。伊豆半島でもそれにまさること数倍だね。ヘンテツもない半島さ。それよりも至るところにタネガキを養殖したりノリシビを突ッ立てる方が利巧ですよ。
松島の方は、昔ながらの名所だから却って人は低く評価しがちだが、牡鹿半島の景観にまさること数倍さ。それにしても「ああ松島や松島や」というような観賞精神は現代に於ては稀薄だね。塩竈では松島の一ツの馬放《まはなし》島というところで海水浴場をひらいたら、大評判、大好評であったそうだ。なるほど、松の生えた岩山の間に白砂の海水浴に適したところが所々にあって、ここで泳いだらさぞ気持がよさそうだ。現代人の遊楽は、単に風景を眺めることではなくて、それをスポーツに利用することを喜ぶ傾向にあるんだから、
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