。あるいは群棲する哺乳類、否、動物の多くがそうなのかも知れない。人間だって、ツイ千年前ぐらいまではそうだったし、今でもそんな群棲状態をつづけているバカバカしいグループが日本のマーケットなどにいるのかも知れないね。
 同じ三陸の漁場でも、塩竈や石巻やその他の漁町村とちがって、鮎川は湾全体が整然として、湾をとりまく工場や民家も、けっして特別に新式でも大規模でもないが、小ヂンマリとそれぞれの設備をもって明るく整頓している。クジラというものが大物だから設備なしに処理できないし、たった年に七百頭ぐらいの鯨でも、一ツの鯨専門の港を裕福にうるおすだけの力があるのだね。それに昔ながらの漁港は因習的で暗い。大漁の時はサイフの底をはたいて豪遊し、不漁の時はフンドシまで質に入れても間に合わない救いのない暗さが、街のどこにもしみついているようだ。そういう漁師の因習的なデカダニズムには救いがないね。現実と対応して工夫された新しい生活の設計がどこにもないのだもの。それをロマンチシズムとでも称するのはウソの大ウソというものさ。そこにあるものは無設計、無智、原始、愚昧ということだけだ。
 クジラ専門の鮎川には、近代的な大会社の資本がはいって漁法にも運営にも計画された設計があるから、昔ながらの漁港に見られる因習的な暗さがないね。
 石巻ときたら、港から町の中心まで、船員相手のキャバレーだのパンパン屋だの、バアだのオデン屋だの待合だらけさ。中には、船員様のためのバア、などと書いたのもあるし、船員御用、船乗の皆さん、どうぞ、などというのもある。私の泊った宿屋では、しきりに石巻の芸者をよぶことをすすめたが、冗談じゃない。そんな芸者は見なくッても分ってらア。ムダに四十何年遊んで生きてきやしないよ。漁師町の芸者なんぞ、今さら見たいと思うもんかね。
 鮎川はこの暗い東北でも半島の先端にとりのこされた漁港でありながら、石巻のように悲しくみじめな暗さが少いのは、漁港全体の運営に近代性があるせいだろうね。鮎川の明るさは仙台に比較しても云えることだ。東北は精神的に一つの鎖国状態なんだね。鮎川へきてホッとするのは、その鎖国に、ここだけは通風孔があいてるからだろう。鮎川には素直に東京の風が、日本の風が吹いている。仙台や石巻には、東京の風も日本の風も仙台的にゆがんで黒ずんで吹いてるだけさ。政宗という田舎豪傑の目のとどかない悲
前へ 次へ
全25ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング