は保守的で渋好みであるが、そういう土地で幅をきかせそうな京家が、進歩的で、新しいもの、豪壮なものの好きな大阪で格式をもっているのは意外であった。もっとも旅館にツナガリをもつのは土地の人ではなくて旅行者だが、自他ともに許すには結局土地の性格が物を云うはずであろう。するとこういう保守的な一面も大阪にはあるのだろう。
およそ京家には戦後の変化が見られないし、戦前のモダニズムにも関係がない。水道が出たり電燈がついたりするのがフシギなぐらいで、便所は水洗式ではなく、例の関西風にフタをのッけておくという式のものだ。庭なども二十坪ぐらいの採光用の空地といった方がよいようなものがあるだけだ。
しかし、たった一ツ、時代を超越して飛びきり理にかなっているのは、ジャンジャン横丁界隈の旅館と同様に、京家でも朝食以外は出前のみで、料理人をおかないことだ。旅館としては、この方が本当だろう。旅行者は土地の名物が食べたいのだし、他に然るべき料亭のない温泉などとちがって、土地|名題《なだい》のウマイ物店がタクサンある大阪だもの、食べ物は客の好みにまかせ、専門の料理店にまかせるのが至当。さすがに大阪生ッ粋の旅館だけの
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