その五分の一にも足らないぐらいの人数である。それでも一レースに五万枚ぐらいの車券が売れるのだから、総体の人数は驚くべきものだ。つまり賭けの目的以外の行楽精神の発露による遊山客が多いらしい。東京方面の競輪場にもこういう遊山客はいるけれども、その人数に於て段がちがう。大阪人は行楽精神に溢れているのだ。その点に於ては甚しい健全人種というべきであろう。
 私はひところ競輪に凝って、各地の資料や雑誌や、選手名鑑などを取り寄せて熟読ガンミしたことがある。東京の競輪雑誌は誤植がひどい。一頁に誤字がいくつあるか見当がつかないくらい多い。一秒の十分の一という微細な数字が資料の基本となるのだから、誤植だらけの競輪雑誌などは意味をなさないのである。東京発行の選手名鑑の選手の実力鑑定はいい加減で、関西や九州四国など東京人の知らない土地の選手については特にいい加減であるが、東京附近の選手でも、手近かな資料だけで大ザッパに間に合せたやッつけ仕事、手をつくした努力の跡はミジンもない。各人の上りタイムの比較などもある者は二百であるのに、ある者は二百五十のタイムであるというように、全然比較になり得ないものを並べてすましているというズボラなやり方、万事形だけですましている。
 関西の雑誌や名鑑はこうではない。私の見たのは競輪ダービーという雑誌であるが、誤植などは殆ど見ることができないし、各人の実力の比較なども一応人が納得できるだけの資料と方法をつくしている。全国に支部があって、各地の競輪の着順やタイムのみではなく、レースの実際を各支部から報告させて表面の記録だけでは分らないことを載せている。そして月々の全国のレースの結果は殆ど全部あつめてある。これ以上のぞめない程度の実質の粋をほぼつくしている。レースは水ものだから、こうしても正確は期しがたいが、予想の資料としてはほゞ手のつくしうるところまでの努力をつくした感が多分である。
 ここが大阪のよいところだ。実質的で、お体裁のところがない。ターミナルのバリケードや千日前の交通整理はお体裁というべきか軍隊調というべきか形式のみ甚だしいが、さすがに金モウケの一念こった競輪ともなれば、大阪人の実質精神は猛然として厳正をきわめるらしい。損をしても諦めやすい東京人とちがって、大阪人は競輪雑誌や名鑑を基に車券を買って損をした場合にはカンカンに立腹してネジこみもするかも知
前へ 次へ
全26ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング