物は通行を許されていない。日曜ともなれば、その賑いは、また格別だ。ところが、その日曜に、この遊楽道路に交通整理物々しく、ズラッと警官が中央に立って、右側通行、その厳格なこと、ちょッと左へよるとお巡りさんのケンツクをくう。自動車の通る道なら整理の必要もあるだろう。だいたい右側通行というのは、人間が車の対面を歩くことによって事故を少くすることができるだろうという考えによって編みだされた方法で、すべて交通整理は根が乗物と人間の交錯という困った事情から必然的に発生したものであろう。千日前は、自動車どころか、自転車も通りやしないナ。ここは人間の通行という用のみに便じる道ではなくて、道を歩くこと自体が遊びであり、あッちの店をのぞき、こッちの店へ色目をつかい、ノンビリ行楽するところである。その行楽まで規則でしばりつけ、働き蟻のように、また兵隊のように、整然と歩かせないと気がすまないのである。遊楽の盛り場ぐらいはウロウロと心のおもむくままに歩かせてはどうかね。大阪の人間は勝手に歩かせておくと、東京のメクラのように衝突してケンカして仕様がないのかなア。ちょッとお客様の目に見える表通りだけは兵隊を扱うように人間を規則ズクメにギュウの音も出させないが、裏通りは、また、ひどいや。
 私は住之江競輪へも出かけて行った。場内の建造物は全部鉄筋コンクリートに改造せよ。金網をはってバンク内への乱入を防げ。競輪人種は暴動の元兇どもの集りと見て、最も警戒せられ、殆ど人間的には信用せられていないのだが、フシギなるかな、全部鉄筋コンクリの建物に改造しないと再開を許可しない筈の競輪場が、全然木造ばかりだなア。今は取り払われた東京の盛り場の最悪のマーケットよりも汚らしい飲食店が並んでいたり、どっちを見てもバラックばかり、その汚らしいこと。規則通りに出来ているのは金網だけで、要するに競輪人種は信用せられてゴッタ返し、不自由な規則に痛めつけられてグウの音もでない面影はなかったのである。実に競輪人種にくらべて比較できぬほどの不信用をうけ、暴動ケンカの元兇の如くに物々しく規則ずくめに自由をソクバクされているのは、表通りや千日前の紳士淑女であった。
 だが、大阪の競輪場は面白い。私の行ったのは日曜日で、数万の人間がギッシリ、レースを見ることができないほどの混雑、満員の盛況であったが、レースが終って車券を買いに行くのは、
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