在しているよ。宝塚山中で共産党の幹部と会見したという記事をデッチあげた朝日の記者にしても、東京にいて考えると記者の心理分析だのそこまで追いつめられた事情などゝ理窟ッぽく推理を働かせる必要にせまられるが、大阪という都会の心臓の中へまきこまれると、あんなこと、なんでもあらへんネ。理窟はあらしまへんワ。大阪モンはみんなあれぐらいのコンタン持っているようであるよ。

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 大阪はエゲツなく、エズクロシイが、同時にそれに対して軽率な反動を常備する本能があるのかも知れん。ストリップ・ショウが軍艦マーチではじまるのも、多少はそのへんの作用によるのかも知れんが、自分は放蕩しながら子供に仁義礼智信を説くようなオモムキがあるなア。ここの警察、曾根崎署というのは大きなネオンサインをつけていたね。もっとも節電で消えていたが、ついたら、壮大なもんだろう。
 大阪では電車の起点だか終点だかを「ターミナル」と言います。正しい英語の由。もっとも大阪の「ターミナル」は、その起点終点駅周辺のマーケット地帯、新発生の盛り場をさしてターミナルと云うのである。このターミナルは、どこもかしこも汚らしくエズクロシイが、しかし表の電車通りは、これはまた、いかめしいネ。バリケードというものを縦横ムジンにはりめぐらして、人間どもをトコトンまでソクバクし、いささかの自由をも許さぬ取締りが完備しているのである。裏にはトコトンのエズクロシイ人だまりをいだきながら、表通りだけはあくまで規則ズクメによって人間どものヨチヨチ歩きを封じて一列縦隊かなんかで歩かせてやろうというコンタン、大阪の人間は一足外へでると赤ん坊なみ、全然ソノ筋の信用ゼロらしいや。バリケードをきずき、金網をはって人間どもの勝手なフルマイを封じたのは全国の競輪場だけかと思っていたら、大阪ターミナルの表通りが、そうなんだネ。競輪場の取締りは全大阪市の思想であるらしい。しかしこのバリケードはいかにも国家非常時的に物々しいし、美しくないね。人間に対しても失礼ではないかね。相互に良識を信頼し合うという表情は大阪市には見られない。ただ取締りと号令で、街の表情は戦時めき怖るべき市民征服の精神に溢れたっているようだ。
 千日前という賑やかな盛り場がある。劇場だのウマイ物屋が並んでいて、浅草と同じようなところである。道幅は五六間。人の賑いでゴッタ返し、乗り
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