味から無意味へ駈けこんで行ぐ遁走ですよ。悲しいのです。これ以上に悲しい姿はありませんや。大阪人はファルスと共に実生活しつつある唯一の日本人ですよ。狂おしいまでに、あやつられていますね。身についた理にも、人情にも、金もうけにも、アキラメにも、言葉にも、郷土にも。
女にも郷土はあるし、それは一面、男以上に郷土を持ちすぎているかも知れない。しかし、その責任[#「責任」に傍点]のようなものは持ちませんね。どこの国の女でも、女というものは、そういうものではないかな。運命は負うているが、運命の責任のようなものは、女は負うていませんや。
女は自分の責任を負わず、自分の負うべき袋を負うて喘いでいる男が、ミジメで、イヤに見えるらしいや。実に憎むべきは女であるか。否、否。可愛いのです。最も憎むべきところを愛す以外に手がないという状態だ。どこの国の女でも、郷土の男を嫌いがちだが、別して大阪はその傾向が激しいかも知れん。それは男が多くの袋を負いすぎて、狂おしいまでに、あやつられすぎているせいかも知れん。
しかし、大阪の御婦人方は面白いや。私と徳田君はいっぺん京家をでたことがあった。ほかの旅館を知ることが必要だったから。そして、心斎橋にちかいあたりへ宿を予約してもらった。行ってみると、二部屋と思いのほか、一部屋だ。二人だから一部屋だという。つまりツレコミ宿だ。要するに私たちが旅館をさがして苦難をなめたのは、一人で一室を占領することがツレコミ宿の方針にそわなかったことと、大阪のたいがいの宿がツレコミ宿であったせいだ。私たちが読売支社を訪れて、この苦難を物語ると、折から居合せて傍できいていた某嬢、とつぜん大声で、
「そんならウチをエキストラに使うてくれはッたらよかったんやわ。遠慮せんかてええわ」
新聞記者諸先生方居並ぶ前で、怖れを知らぬ大音声。本人に変テコな意識は何もないのだね。トッサに思いついた親身の情の自然の発露にすぎないのだが、しかし、表現がムチャクチャだな。とにかく、よほど心が善良でないと、こういう堂々たる大宣言はできないようだ。
「あのときは、ハッとしましたよ」
と徳田君が東京へ戻って、まだ冷汗をかいてるような顔をしたが、誰だってハッとするね。しかし、ハッとする方が悪いのさ。こういうアラレもないことを口走るお嬢さんは大阪だけとは限らない。百花園千歳のF子嬢は東京の下町娘だが、
前へ
次へ
全26ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング