、蘇民の居住地を南海と示しているのは注意すべきではなかろうか。この地方のように、民家の半分ちかくが今もって蘇民将来子孫の護符をはりだしている地が他にもあるのか私は知らない。京都では軒並みにチマキを門にぶらさげて魔除けにしているが、蘇民将来の護符はあんまり見かけない。
宇治山田郊外には蘇民の森というのがあるのである。二見村の旧五十鈴川の流域にある。今の五十鈴川には二ツの河口があり、二見の江村へそそいでいるのが古いのだそうだ。古い河口の海岸にあるのが例の夫婦岩で、昔は川が最良の交通路だから、遺跡が陸伝いよりも河沿いに残るのが、自然である。地形によってはとりわけそうで、内宮外宮間は鎌倉ごろまで山伝いで、平坦な路がなかったという話であるから、神宮のできた初期に於ては、町の賑いは五十鈴川が海にそそぐところ、二見ヶ浦のあたりに在ったのかも知れないし、猿田彦の縄張りも、その辺の賑いを背景にしていたのかも知れない。蘇民の森は、松下神社と云い、旧河口にちかいところの鳥羽街道にあるのだが、祭神はスサノオの命を中に、右に不詳一座、左に菅原道実とある。道実は雷と化して京都をおびやかしたオトドだから、スサノオ
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