の命と並んで祀られるのは理のあるところ。不詳一座というのが何様だか知れないが、他の二神から推して荒々しい神様であることは想像できる。荒々しいという意味は、その裏側に、その神の一生が悲劇的であった、ということを意味しており、その悲劇的な一生に寄せる民衆の同情が、その神の怒りや荒々しさの肯定となって現れてもいるのである。
本殿裏が蘇民の森だが、裏へまわってみると、この森はどう考えても古墳である。その古墳は神殿の真後の円形の塚一ツであるか、更にその後の山もふくめて特殊な形をなしているのか私などには分らないが、塚であることだけは確かなようだ。そして、例の私の悪癖たるタンテイ眼によると(学者の鑑定眼とちがって私のは探偵眼だからなさけない)不詳一座という名なしの神様がこの塚の中に眠りつつある当人であり、思うに旧二見ヶ浦マーケットの親分あたりではないかと思うのである。
さて、私がいとも不思議なタンテイ眼を臆面もなくルルと述べ来った理由をお話しなければならないことになってきた。
伊勢の国、宇治山田といえば、大神宮、天皇家の祖神を祭る霊地であり、天皇家に深く又古いツナガリのある独特のものが民家の中
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