当てにならないことで、この祭神の正体が判明する時は、古代日本の正体がよほど判明した時だ。

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 旅行者の多くは見落しておられるかも知れない。現に宇治山田へ三度目という田川君が見落していたが、あの地方一帯の民家の三分の一は、入口にシメをはり「蘇民将来子孫」とか「笑門」という札を掲げているのである。正月ごとに新しくかけかえて一年中ぶらさげておくのである。
 武塔神が北海から南海の女をよばいに旅行の折、その地に蘇民将来という兄弟があった。兄は貧乏、弟は富んでいたが、武塔神が宿を乞うと弟は拒絶したが、兄は快く泊めて粟をたいてモテナシてくれた。八年後に武塔神が再び訪れ誼《よしみ》に報いようと茅の輪をつくって兄の一家に帯びさせた。その年に疫病起って蘇民一家を残すほかの住民はみんな死んだ。即ち吾はスナノオの命なり、後世疫病ある時は蘇民将来子孫なりと云い、茅の輪をもって腰に帯をすれば難をまぬかれるだろう、と教えて立ち去った、という伝説によるのである。
 元来京都祇園社の信仰にもとづくもので、祗園の末社に蘇民社というのがあるそうだ。その他諸国に蘇民将来子孫の護符をうりだす神社仏閣
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