、失敗を演じているのは神々の通例、大国主などはそれによって人気いや増す有様であるのに、猿田彦はどうもいけない。節操なき者はついに民衆に愛されないのか。大国主は戦い敗れて亡びた首長であった。猿田彦は裏ッ先に節を屈し、美姫を得て終身栄えたであろう。しかも民衆の批判は、彼をして貝に指をはさまれ、海中へひきこまれてもがいて死なねばならぬように要求する。しかし彼の実人生は決してそうではなかったであろう。五十鈴川上の地を神霊の地として朝廷に捧げたのは、彼の子孫ではなくて彼自身であったかも知れない。そうすることによってマーケットの親分となり、十手捕縄も同時にあずかり、代議士にも当選して、存分に栄え、大威張りしてめでたく往生をとげたのかも知れない。それ故に彼の死後が栄えないのが当然であるか。民衆の批判が常に正当だとは限らない。民衆の批判の陰に泣きくれている魂もある。その魂の言葉を綴るのが文学の役目でもあるのである。
 庚神は猿田彦を祀ったものだという説もある。宇治には北向庚神をはじめ七ツの庚神があるそうだ。このことは鮓久の先々代のメモによって知ったのである。しかし、庚神の祭神が猿田彦だというのは大いに
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