般が握られた手を握り返すものなら、彼女もそうするにちがいない。そして彼女がそうしないとすれば、それは綾子だけが例外だということになりうる」その例外は困ったことだと松夫は思った。しかし、もしもそうときまれば、もはや綾子に用はない。綾子は忘るべきである。そしてこの可愛い女心理学者に乗り変えるべきである。松夫はこう考えたが、それは水木由子を甘く見たせいではなかった。水木由子に対する愛情がにわかにどッと溢れたせいだ。この唐突な愛情がどこからそもそも湧いてきたのか意外であったが、その瞬間に、彼は溢れたつ感情にモミクチャになっていたのであった。
 彼女の手を握ってためしてみたいと思った。そこが映画館でないことを思いだすヒマはなかったのである。彼女の見ているのはラヴシーンでなくて心理学の本であるのを考えるヒマもなかった。さすがに白昼の庭園であることだけは知覚していたからあたりに人影ありやなきやと見定めることは忘れなかった。突然彼は何かに押されて歩いていた。彼女の前で、彼女の姓をよんで帽子を脱いで一礼した。そして彼女に目を上げて彼を見るだけのヒマしか与えず、跪いて彼女の手を押え握りしめたのである。

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