いので、総てにヒケ目を感じてしまうのである。その一夜、松夫は胸の中でこう呟きつづけた。
「オレに必要なのは革命だ。偉大な革命! 今日行われたあの革命。あの解放感! オレにだって、いろいろなことが、できるのだ」
★
翌日、彼はわざと三十分ほど時刻におくれて校外の庭園におもむいた。宮本武蔵の故智にならったのである。そして、これが自分の真剣勝負だと考えた。水木由子と自分のではなく、自分と自分の未来との生き方を決する真剣勝負だと考えた。これに勝てば自分の未来に勝つことができると考えたのである。
松夫はアレコレと多くのことを考えていた。たとえば、水木由子はもう今日からはロイド眼鏡をかけないだろうと考えた。それは水木由子が彼の革命に参加したシルシなのである。そして二人はともに解放の喜びにひたる。つまり、植込みの蔭にロイド眼鏡をかけていない水木由子が待っていたなら、すでに真剣勝負は彼の勝に決しているのだ。
しかし、水木由子がまだ眼鏡を捨てることを知らずに彼を待っていたなら、それはたぶん彼女の心がその素顔と同じようにまだ稚いせいだろう。彼女は書斎の恋愛心理に通じていても、実地の真剣勝負にはうといのである。その稚さは、革命家にとっても、むしろ慈しむべきであろう。そして、その場合には、当然彼の手がその眼鏡を取り除いてやるべきであるが、眼鏡を投げ捨てて踏みくだくべきか、静かに彼女の手に返して理をジュンジュンと説くべきであるか、彼はいまだに迷っていた。むしろそれは成行きにまかせようと考えていた。しかし、樹蔭のベンチのところへ来てみると、そこに腰かけているのは見知らぬ男女の学生であった。そして、植込みの向うの芝生には誰の姿もなかった。
彼女の代りに、彼が芝生に腰を下した。そして、彼女の残した目ジルシが何かないかと探してみたが、彼女がそこにいたという形跡を認めることはできなかった。
「アイビキと剣術の決闘をごッちゃに考えたのはマチガイだったか。革命、真剣勝負という自分の一存にこだわりすぎて、心理学の常道を逸脱したウラミがあるかも知れない」と彼ははじめて気がついた。剣術の決闘だから相手を待っているが、恋愛は汽車と同じように人を待たないのかも知れない。
しかし、彼は根気よく三十分ほどジッと待った。それから庭園内をぐるぐる探し廻って元の位置へ戻ってみたが、どこにも水木由子を認めることはできなかった。
しかし、革命はまだ終らない、と彼は根気よく考えた。彼は学校へ戻った。そして、広い校内を彼女の姿を探して歩いた。どこにも彼女の姿は見当らない。その翌日も、またその翌日も、彼女にめぐり会うことはできなかった。彼の革命の意気ごみはにわかに衰えた。一夜ごとに半分ずつしぼんだあげく、三日すぎるとマイナスの方に傾いて、彼女にめぐり会うことの怖しさのために学校へ行くことができなくなってしまった。
水木由子の手を握った自分の手がケダモノの手のように考えられる。思いだすと赤面せずにいられない。そして、思いだすことが怖しくて、その怯えだけで冷汗をかいた。水木由子は扉にはさんだ手をひきぬくような真剣さで抵抗した。ついには彼女自身の手を土の中の山の芋のようにゾンザイに扱って、無法に荒々しくひッこぬこうと努力したのである。それが彼女の彼に対する正しい気持であったに相違ない。要するに彼はケダモノにすぎないのだ。アイビキの約束はケダモノの目をそらすために投げられたエサにすぎなかったのであろう。ケダモノが見た革命の幻覚ほど愚かにもアサハカなものはない。
松夫は握り返した綾子の手を考えることもできなくなった。なぜなら、それを考えると、水木由子の手を握った自分の手、ケダモノの手を思いださなければならないからである。
彼は改めて綾子すらも一まわり怖しいものに見直すようになった。彼自身の見ているものが概ねケダモノの甘い幻覚にすぎないのではないかという劣等感に憑かれてしまったからである。
「アナタ、ちかごろ気がぬけたみたいよ。時々フッと消えてしまうみたいよ。ふりむけばちゃんといるでしょう。つまり、アナタ、しょッちゅう放心してるんだわ」
「そうでもないです。就職もダメだし、試験もダメらしい。気がめいることが多いので、ついね」彼は仕方なしにヘラヘラ笑って答える。自然に敬語で答えていたりするのである。綾子はその変化に容赦しなかった。
「変に卑屈だわね。全然三下って感じ。どこにも取柄がないみたいよ」
「つまり、たしかに、三下なんだ」
「赤くなっちゃったじゃないの。いくらか羞しいの? 怒ったの? どッち?」
「習慣的にすぎないです」
「こまった人ね。でも、いいわ。私、三下って、わりと好きなのよ」
「親分は?」
「むろん好きよ。でもね。親分には甘えたいわ。可愛がってもらいたい
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング