ふ気がしないのと同じ意味に於て、やる気がないだけの話なのである。
お定さんの問題などは、実は男女の愛情上の偶然の然らしめる部分が主で、殆ど犯罪の要素はない。愛し合ふ男女は、愛情のさなかで往々二人だけの特別の世界に飛躍して棲むもの。そんな愛情はノルマルではない、いけない、そんなことの言へるべきものではない。さういふ愛情の中で、偶然さうなつた、相手が死んだ、そして二人だけの世界を信じて、一物を斬つて胸にひめるといふ、八百屋お七の狂恋にくらべて、むしろ私にはノルマルに見える。偶然をさしひけば、お定さんには、どこにも変質的な、特別なところはなくて、痛々しく可憐であるばかりである。思つてもみたまへ。それまで人生の裏道ばかり歩かされ、男には騙され通し、玩弄されてばかりゐた悲しいお定さんが、はじめて好きな人にも好かれることができた、二人だけの世界、思ひ余り、思ひきる、むしろそこまで一人の男を思ひつめたお定さんに同情すべきのみではないか。
然し、お定さんが、十年もたつた今になつて、又こんなに騒がれるといふのも、人々がそこに何か一種の救ひを感じてゐるからだと私は思ふ。救ひのない、たゞインサンな犯罪は
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