つけた、といつてもどこにも犯罪的な要素は殆どないではないか。純愛一途のせゐであり、むしろ可憐ではないか。
 やつぱり時代のギセイであつた。あのセンセーショナルなところが軍人時代に反撥され、良俗に反するからといふやうな、よけいな刑期の憂目を見た原因であつたと思ふ。
 実際に又、お定さんは時代の人気をあつめたもので、お定さんが出所するとき、警察の人々が特に心配してくれて、特別に変名を許可し、変名の配給書類をつくつてくれた。その変名の配給書類で、お定さんは今日まで、誰にもさとられず(隣の人も知らなかつた)平凡に、つゝましく暮してきたのであつた。
 どんな犯罪でも、その犯罪者だけができるといふものはなく、あらゆる人間に、あらゆる犯罪の要素があるのである。小平も樋口も我々の胸底にあるのだ。けれども、我々の理性がそれを抑へてゐるだけのことなのだ。中には、とても、やれないやうな犯罪もある。去年だか、埼玉だか、どこかの田舎で、ママ子を殺して三日にわたつて煮て食つたといふ女があつた。こんなのは普通やれそうもないけれども、然し犯罪としてやれないのではなく、問題は味覚に関することで、蛙のキライな人間が蛙を食
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