すが、作家の作品に対して軽率きわまる読みちがいをして、読みちがいを論拠に批評するのは壮助先生に限りません。「フシギな女」の場合はそのバカバカしい読みちがいを指摘することができますが、小説などの場合には、それができないのです。小説家はどんなにバカげた読みちがいを論拠に悪評されても、それを反駁したところで水カケ論で、ただ自己弁護だと思われるだけがオチですね。ですから小説家は別に反駁もせずに見送っているわけですが、批評家がいかにバカであるかということは、その機会あるときには云っておく必要があると思います。「フシギな女」は論理的にそれをなしうるチャンスですから、蛇足を加えることにいたします。
 小原壮助先生の批評によると、
「安吾探偵は山口や検察当局やジャーナリズムの示唆にひッかかって、太田成子や陰の男にこだわり、山口を疑らずに、山口を殺さなかった犯人をフシギがるという俗眼をもって事件を見ている」
 というのです。
 先月号をお読みの皆さんはお分りでしょうが、あの文章を最も表面的に受けとれば、たとえば、小学校五六年生ぐらいに読ませれば、字面通りにそう受けとるのは当然だろうと思います。字面はたし
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