、その実験から証拠をハッキリつかみだすことは、まず不可能であろう。
瞬間的な反応というものは、一見人間は本能を偽れないように見えるから確実らしく思われるが、実は犯罪者という老練冷静な実行家にとって、とッさの本能を偽るぐらいは易々たるものかも知れない。
むしろ考える時間を与えて、手記でも書かせた方が、理ヅメにごまかす手段を考えるからシッポをだす率が多く、だし方がハッキリしてしまうだろう。しかし、山口のように、事件を発見した当人が犯人であったという場合ならとにかく、他の容疑者の場合は、自分は事件に関係せぬ、しかじかのアリバイがあると云えばそれまでのこと。事件と交るところのない手記を書かせたって、糸口はつかめない。たとえば平沢氏の手記の如くに、富士山や如来様かなんか三十一文字によみこんで心境をのべたてられても、タンテイたるもの手のほどこしようはないね。
山口の犯人と確定した今となっては、山口の手記はいろいろ考うべき材料を提供しているようだ。
今となってはバカバカしいようだが、山口は女の住所をくらますために、新宿の反対側の浅草と云ってるのだね。今となっては、浅草の反対の新宿だと判断するのはカンタンだが、当時としてはできやしない。渋谷だか品川だか池袋だか上野だか、ほかのとんでもないどこかだか、とても見当はつけられない。
しかし、この手記中の浅草の語は山口の生前、聯想試験の材料にはなったであろう。しかし、この場合にも、この種のテストには個性差というものがあって一定の公式で判定ができない。のみならず解明さるべき問題はその個性差の中に含まれているのであるから、断定的[#「断定的」に傍点]な答えは絶対に出てこないと見てさしつかえない。彼が浅草と云っているのは新宿をごまかすためだということは、心理試験によって知りうる如くでありながら、実はまず絶望的に不可能だろうと思う。探偵小説などでそれが可能なのは、試験がうまく出来すぎているばかりでなく「断定が可能」であるからだが、実際問題としては、彼が他の理由で犯人と定まるまでは、決して断定はできない。試験者の心理の方に断定しがたい弱点が存しているからである。
大学の心理教室の実験の場合とも違うのです。なんしろ一人の人間が殺人犯であるか否か、ということを、日本人八千万の耳目の前で決するのだから、責任がちがう。実験者の方にかかっているその
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