て心理分析によって山口と成子の犯行を確認しうる理由をもったがゆえに、文学的に表明してみただけの話であって、素人タンテイたるの功を誇ることとは意味がちがう。
私は先ず山口の手記に、成子の個性がないこと、アベコベに男の個性がありすぎることを指摘し、成子がしばしばゴミをすてに裏へでたこと、深夜に男が来ていたこと、成子が旦那の売上げを数えるのを見ていたこと等、彼の観察が男女共犯物盗り説の一点にのみ集中していることを指摘した。しかもこれらの目撃者は彼一人であって、他の誰も同じものを見ることができない底のものなのである。その他のことについては、彼の手記にはなんらの個性もないのである。そこで私は結論したのだ。
「しかし男であるかは探す必要がない。太田成子を追えばタクサンだ。彼女を捕えれば、男が誰であったかは自然に分るであろう」
云うまでもなく男は山口だと云う意味だ。そして、その次にフシギな女について詳説したのは、なぜ男が山口であるかということを、補足説明するためのことである。
即ち、前述の如くに、女が信用組合の時間だけ気にかけて、現場の発見を気にかけないのは、男が山口であること。また、四人殺害後、冷静に現場の証拠を消しながら男を目撃した唯一の人物山口を殺さないのは有りうべからざることであり、要するに男と山口は同一人であることを暗示したのである。
しかし、犯人があがらぬうちに、そうハッキリ云えるもんじゃありませんよ。暗示するにしたって、すぐ分るようなハッキリした暗示の仕方ができるものじゃアない。
私は今度の事件は数名の目撃者の観察がシッカリしているから、モンタージュ写真によって遠からず成子嬢がつかまると信じていた。しかし、ただ一ツ不安なのは、山口が女を殺してしまう場合がありうることで、こうなると後日に至って山口がどんなにカサにかかって私の文章にインネンをつけてきても、法律上、物的証拠によって彼の犯行を断定することができないと同様に、私も彼のインネンに抵抗するだけの物的証拠をもたないのである。山口の犯行を暗示するたって、そう明々白々に暗示しうるものではない。彼にインネンをつけられてもゴマカせるような伏線をつくっておかなければならないのです。
幸いに私の想像通りに太田成子を追うことによって、自然に男もつかまった。別に私の誇るべきところでもなんでもない。当り前の話ですよ。
前へ
次へ
全19ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング