かにそうですから。
しかし、多少とも文学にたずさわる人間が表面の字面だけしか読めないということが、考えられるでしょうか。しかも、とにかく、批評を書いて、それがお金になるという人間が文章の字面だけしか読めないというバカげたことが現実にありうるとは思いもよらなかった。
だいたいこの人は文学者どころか常識家としても平凡な市井人としても失格して、ナンセンスにちかい愚人だろうと思います。山口が捕われてからの事情と、そうでない時の事情を混同させているのである。山口が捕われて後に山口を犯人だと云えるのは当り前のことだけれども、彼が誰にも疑られていない時にも彼が犯人だとハッキリ云わなければ疑ったことにならないと彼は考えているのですね。また、そういう断言をしていいものだと考えているらしい。こんなバカな人間がそうザラにいるとは思われないが、よりによって、そういうバカな人が文学の批評家で日本に通用するとは、とんでもないことになったものだ。
私がフシギな女、フシギな女、と云いふらしているのは、ちッとも女そのものをフシギがっているのではないのさ。どこに怪牛の化け者のようなフシギな女が実在しうるものですか。
女は柳ずしで休んでも、信用組合で金をひきだす時間だけを気にしているが、すでに現場が発見されて手が廻っているかも知れないということは全然気にかけていない。
また、洋品屋でお金を払うにも、十円札を六十二枚かぞえるのに十分間もかかり、なるべく長く時間を費して信用組合で金をひきだす時間まで持たせようとしているが、現場が発見されて手が廻るかも知れないことは全然気にかけていない。
だからフシギな女だと私は云うのです。しかし、私の言葉の裏を読めば、全然フシギじゃないじゃないか。どこにそんな怪牛のような、フシギな女がいるものか。要するに、彼女が気にしている九時半という時刻までは、決して現場が発見されないことを彼女は知っているのだ。だから、彼女は信用組合で金をひきだす時間以外は全く心配せず、ただ一途に、それのみ気にかけているだけさ。なぜ彼女はそれまで、現場が発見されないことを知っているか。共犯者は山口だからだ。きわめて簡単明瞭な話じゃないか。
まだ犯人がつかまりもしないのに、犯人は山口と成子だと云えると思っているお前さんが大バカなのさ。文学者は素人タンテイではないのだから、ただ文学者の職分とし
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