追求によつて、人生の秘密であるところの生命慾や恋情や野望や抽象的な絶望や救ひが、小説の結果としてやや鮮明に描きあげられてくるのだらうと思はれたのだ。
 小説に於ては、作家の思想は決して抽象的な思想の形式に於て語られるものとは限らない。人生に対するところの角度がすでに作家の最も根強い思想を語つており、又前述の場合に就て言へば、掴みだした人生の角度は相似であつても個々の対象に向けられる作家の興味、問題として取りあげそれに食ひこむ作家の興味、それによつて作家の思想は根底的に明白となる。たとひフロオベエルが二月革命に対してどういふ批判をフレデリックに語らせ、又登場人物の幾人かにどういふ感慨を洩らさせてゐるにしても、そこに語られた生の思想は必らずしも生きたものではないのである。フロオベエルの影であり不消化な滓にすぎない時すらある。それよりも、対象にくひこみ問題にくひこむフロオベエルの作家的な興味を見ることによつて、人生の大地に足をおろし身を処する彼の最も根底的な思想が、その姿を明らかにしてゐることを知りうるであらう。

 ドストエフスキーは実人生に於て破廉恥漢であり、その動物性のあくどさに嘔吐を
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