ルやデュッサルディエやルヂャンバアルとの交渉と友愛と憎しみ、其交渉の展開する時代的な背景としては二月革命がとりいれられてゐるのである。之だけの事件的な又人間関係の素材から私が直ちにドストエフスキーを思ひだしたことは決して偶然ではあるまいと思へる。
フロオベエルはドストエフスキーと殆んど似よつた人間関係を掴みだしてゐながら、彼の対象にくひこむ興昧は殆んど恋情とそれにからまる野心とだけに限られてゐるやうに見える。アルヌウとフレデリックの錯雑を極めた人間関係やデロオリエとの憎悪にみちた友愛や、その奥にひそむところの生命の秘密ともいふべきところの野心や懊悩、さういふものは素材として掴みだされ呈出されてゐながら、彼の描写の興味は殆んどそれに向けられてゐない。いはば恋情に向けられた激しい興味の派生的な筆力によつて恰好よくまとめられてゐるやうなものである。
ドストエフスキーであつたら――私は読みながら幾度さう考へたか知れなかつた。恐らくドストエフスキーであつたら恋といはず友愛といはずただ/\人間関係としてのその各々にひたむきに食ひこんでいつたであらう。さうして斯様に雑多な又錯雑を極めた人間関係の
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