て、その業績はもはや常識的なものとなり、彼が示した程度の人間観察や心理解剖の深さはもはや我々に多くのものを教へないといふ結果になつてゐるのだと思ふ。いはゞフロオベエルは近代文学の最も正確な教科書のひとつであり入門書のひとつであつて、もはやそれ以上のものではないらしい。
 私は「感情教育」を読みながらドストエフスキーを最も屡々《しばしば》思ひだした。といふのは、フロオベエルの掴みだした一聯の人間関係の世界がドストエフスキーの掴みだす人生の角度に全く相似であるにも拘らず、観察や描破の情熱が各々全く異つた方面に焦点が向けられてゐるといふことに甚だ興味を覚えたからに外ならない。
「感情教育」の中軸をなす物語はフレデリックとアルヌウ夫人の不可能な恋であるが、その恋愛に対照してロザネットへの肉慾的な執着、ダムブルーズ夫人への金銭と名誉を目算しての執着、ロック嬢への平凡な執着なぞ色々と刻明に描かれてゐる。それらの愛慾図に絡んでフレデリックとアルヌウの野心や名誉や色情や金銭に絡みもつれた複雑な人間関係またデロオリエとの憎悪に満ちた友愛や、フレデリックの政治上の或ひは色情上の野心にからまるシジイやセネカ
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