自身も昔は文化であったには相違ない。
古事記や書紀の昔から、干支というものが年代をはかる標準になっていた。西暦が百年周期で、世の移り変りを観じているように、昔の日本は干支の六十年周期で世の推移を観じていたのかも知れない。年号や元号を書き忘れても、丙午三月とか丁寅七月というように干支の方は書き忘れない。古い碑文や古記録なぞにはそれが多くて、いつの天皇のころの丙午であるか丁寅であるか、その判定に学界が今も迷っているような例は少くない。六十年のヒラキがあるのだから判定によっては一問題であるが、昔の人はそんなことが問題になるとは考えていなかったらしく、干支の六十年周期というものが車輪の跡のように正しく伝わり残って行くものだと思いこんでいたのかも知れない。
こういう古い歴史的生命を持ちつたえている干支であるから、日本人の生活にくいこんでいる干支の魔力というものは深く広く根強いものがある。アプレの青年でもヒノエウマは迷信と断じながらもオレは辰年の生れだとか、アイツは寅だから気が強いなぞと無自覚に語り合ってしまうのが自然で、祖父から父母へ、また子へと、家庭の会話の伝統というものが電気センタク機や
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