ラジオと甲乙ない生命力を持っているのだ。我々はラジオなしで暮すことはできるが、精神の伝統から切り離れて物を考え、また生きることは大そうむずかしい。
 だいたい、文明開化なぞと云っても、精神生活とはあまり関係のないものだ。文化はむしろ迷信の母胎であるかも知れない。完全に文化がなければ迷信もない。スポーツマンが、むしろ優秀なスポーツマンほど迷信的になり易いのは、彼らがむしろ進歩につれて己れの弱さや、拙さを熟知するようになるからだ。文化全般に於て同じことで、文化の進歩につれて各人の迷信が、なくなることは考えられない。
 しかし、文化人の個人的な迷信に比べればヒノエウマの迷信がバカバカしいことは確かであるが、これとても早晩の消滅を期待することは不可能だ。すべて迷信の消滅はこれを期待しない方がよい。そしてただ銘々の教養や勇気や楽天性によって自分がその受難者たることを避けるように心掛けるのが何よりであろう。



底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
   1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潟日報 第四〇六〇号」
   1954(昭和29)年1月3日
初出:「新潟日報
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング