人の男が私の前で突然シャッポをぬいでお辞儀をした。
 三宅勇蔵である。この青年はその春大学を卒業し、JO撮影所の脚本部員となつて、京都へつき、さつそく私を訪ねてくれたところであつた。借金取の訪れにも胸をわく/\させて苦しみを忘れた私であつたから、友あり遠方より来る、私の心は有頂天の歓喜に躍りあがつてゐた。私はもう病院で手術を受けるさしせまつた目的まで綺麗さつぱり忘れてゐた。酒を飲まう。大いに飲まう。酔ひつぶれ死ぬまで飲まう。
 私達は大いに飲んだ。私は不思議な酔ひ方をした。私の身体は濡れた一本の縄のやうな気がした。酒に湿り、酒につかり、グシャ/\ぬれて、だん/\グシャ/\ぬれてゆく縄のやうであつた。私の身体はもう痛くなかつた、すべて、知覚がなかつた。私はまつたく泥酔した。そしてあの怖るべき二階の一室、苦悶と絶望のみしか在り得なかつた部屋の蒲団の上へなんの怖れも痛みもなくゴロンとひつくりかへつて、なんでい、電燈の灯だなんて、邪魔つけな、馬鹿にするない、とパチンと消して、堂々と睡つてしまつたのだが、実際馬鹿げた話だ、これは微塵も作り話ではないのである。翌朝目がさめたら病気が治つてゐた。本当
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