です。一夜にして熱が落ち、腫物の痛みが消え去つてゐた。
 腫れものが自然に破れ、膿が流れでゝゐたのである。尤もその後、約五ヶ月間、この膿がとまらなかつた。然し、痛みはもうなかつた。
 その後、宿主の計理士は非常に恐縮して、私のために別の下宿を選んでくれた。この下宿は弁当の仕出屋で、私はその二階に住むことになつたが、この弁当は一食十三銭で、この家では酒が一合十二銭であり、居ながらにして、食ひ、かつ、酔ふことができる。金がなくとも、食ひ、酔ふ、ことができる。のみならず、いくら食ひかつ飲んでも、こゝの一ヶ月の借金はたかゞ知れてゐた。一晩に一円飲むには骨が折れた。まづい酒だから、途中に吐いて、飲めなくなる。万事都合よく出来てゐた。私の貧乏ぐらしの中で、この食堂の二階にくすぶつてゐた期間が最も太平楽な時であつた。私は考へることだけを怖れてゐた。そして、考へる代りに十二銭の酒を飲んだ。私は平穏な一人の馬鹿であつた。そして、この戦争中、私はそのときと同じやうな、一人の平穏な馬鹿だつた。飲む酒がなかつたので、毎日本を読み、空襲と遊んでゐたゞけだつた。十二銭の酒に魂を売つたやうに、空襲に魂をまかせてゐた
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