のしんでゐるけれども、快楽とか自然人的な生活に就て、特に独自な思想があるといふ者はゐない。
彼女らは男を男として客を選ぶわけではなく、もつぱら蟇口《がまぐち》に狙ひをつけて客を選ぶ。K子といふ一見令嬢としか思はれない美人は、お金をたくさん持つてゐる男は後光がさして見えるわ、と言つた。お金持は色男に見える由、然し若いうちは金をためても、自然マーケット街のアンチャン連を情人にもつたりして金をまきあげられるやうなことが多く、若い子は稼ぎは多いが、たいした貯金は持つてゐないといふことだつた。
彼女らが夜の橋の袂にタムロしてゐたりするのも、お客を物色するよりも、約束の人を待つてる方が多いので、我々東京の貧民どもは間違つてもパンパンに呼びかけられるやうな心配はないらしい。彼女らのナジミ客はお金持ばかりで、熱海、箱根、銚子、日光、一週間も大名旅行につれて行かれるやうなことも再々で、家も配給もないけれども、我々よりも遥かに豪奢な生活をしてゐるのである。だから彼女らには我々銀座の通行人も眼中になく、したがつて、我々がパンパンに就て考へる如く、パンパンといふものを惨めとも卑屈に思ふ考へ方など全然ない。
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