結婚してみたくつても、とパンパン嬢も悠々たるものである。
 彼女等は野天でショートタイムの営業もやらないことはないけれども、概してナジミと旅館へ泊る、たいがいナジミの客と会ふ日を約してゐて、街で知らない客を呼びとめて拾ふといふのは少いさうだ。お客は東京人よりも、地方からの商用のお上りさんで、お金はあるし、金ばなれもよい。洋服などもお客にねだつて買つてもらつて、みんな立派なナリをしてをり、ちよッとパンパンには見えないのが多い。第一営業としても、営業主に強制されたり、廻しをとつたりしないのだから、見た様子は娼婦とは雲泥の相違で、どことなく娘々したのが多い。もしも私が彼女らの一人をつれて新聞雑誌社へ乗りこんだら、ケイ眼無類の記者諸先生も、見破る筈はない。この方は何々社の婦人記者の何さんです、とやつたら、ハア、はじめまして、私は、と名刺を差上げるにきまつてゐる。いや、見破つてみせますよ、と力んでゐた記者がゐたから、あゝいふところへホンモノの令嬢をつれて行つて、色々と雑誌社を騙しなやますことを考へてゐる。然し、実際パンパンガールは陰鬱な性質のものではないのである。
 私の会つた姐御は堂々たるものだつた。一日平均千円の収入があり(美人の若いパンパンはもつと多い。だから姐御は悲劇的だ)そのうち毎日八百円貯金して二百円で二度ゴハンをたべる。朝のゴハンはお客にたべさせてもらひ、お客と別れてきて、お風呂へ行つて、二時頃からタマリの喫茶店へブラリと現れる。彼女らは、映画なども殆ど見ないさうで、それだけ生活に退屈してゐないのぢやないかと私は思ふ。
 姐御はお金をためて、やがて貿易商になるのだ、といふ。沖仲士の女親分もやりたいさうで、荷役の指図は自信があるのだと云つてゐた。然し姐御ぐらゐの年配ではこのショーバイはたのしい筈はなく、第一、顔のアラの見える明るいうちはショーバイにでられないといふやうな、姐御といふ威厳と逆な悲劇的な弱点があり、それを押してのショーバイだから、ウンザリしてゐるのも無理はない。姐御の説では、私は結婚なんてする気はないけど、若い子はみんな結婚したがつてるよ、と言ふけれども、私の見たところでは、若い子の本心は結婚などは考へておらず、姐御だけが内心は切に結婚生活を欲してゐるやうに思はれたのだ。
 若いパンパンたちは、自由で、自然人で、その明るさはあるけれども、そして生活をた
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