「然し、あの金切声は真剣そのもの、必死の気魄じゃないか。あれが狂言とは、それは嘘だろう」
「無論、狂言じゃないわ。真剣でもあり、必死でもあったわよ」
「じゃア、できもしない唄をうたって、声楽家になれるつもりでいるのか」
「私は自分の力について考えてみない主義であるのよ。あらゆるチャンスに、おめず、おくせず、試みてみるのよ。全てを人の判断にまかせて、試みによってひらかれた自然の道を歩きつゝ進む主義であるのよ」
「ウムム」千鳥波は、また、うなった。
「それは、その主義であるのか」
 然し、ふと気がかりになって、言った。
「なんでも試してみる主義なんだな。パンパンなんかも、試したのかい」
 しばらくの鋭い沈黙ののち、「無礼」小さな、然し、氷の如くきびしく怒りに澄んだ呟きがもれた。それは、めざましく鋭く高い怒りに燃えていたゝめに、無礼を許している意味でもあった。
 女が立ちどまった。
「そこが私のウチよ。どうも、ありがとう」
「そうかい。じゃア、おやすみ。あしたも手伝いに来てくれるね」
 女は黙って、うなずいた。そして、千鳥波の大きな手を握ったが、
「あのネ、あなたの店、ラジオがないから、
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