いついてイタズラをしたのであるが、今さら白状もできないから、別のノレンを新たにこしらえて、おまけに、どっちの代金も払ってくれない。自業自得というもので、悪事の結果はやっぱり良からぬものである。
★
質屋の商売は世評のよからぬものである。そのくせヤミ屋やモグリの商売を誰も悪く言わないのだから、そうまで卑屈に親代々の商売にかじりついてる法はない。
さいわい町内にソバ屋の店が売物にでたから、これを買って、シルコ屋をはじめることになる。友達は有難いもので、古道具屋にオシルコの椀があったからと持ってきてくれたり、千鳥波などは、こういう時には役に立つ。餅臼をハンドバッグみたいにチョイとぶらさげてきてくれる。
「このオソバ屋の店は大きすぎら。お客というものは小さなところへゴチャ/\つめられると、あそこはハヤルとか、ウマイとか、とっかえひっかえ来るものだ。広々としたところへポツンと置かれちゃア、二度と来やしないよ。店を小さくしなさい」
「できてる店を小さくしろたって、ムリですよ。もぎとるワケにいくものじゃないです」
「バカだよ、お前は。大きい、小さいも、ひとつは感じの問題だ。イス、テーブルをゴチャ/\並べるとか、なんとか、たとえばだ、スキマというものが広さを感じさせるのだから、スキマというスキマへクリスマスツリーみたいな植木鉢をつめこむ」
「ハア、ナルホド。では、関取、それをさっそく買ってきていたゞきましょう」
「この野郎、人を運送屋に見たてゝいやがる」
などゝ言いながらも、姿のよい植木鉢を見立てゝ届けてくれたりするから、友達はありがたいものだ。けれども紺屋の一件があるから、いつ復讐されるか、オサオサ油断はできないのである。
夢に見る面影、おお、そはあの人よ。はるかなるノスタルジヤの香気、又、はなやかなエキゾチシズム、雨は降る巷々、窓の灯に人の子の悲しみははじまる。白昼ひそやかな彷徨。その全てにあなたの心の影をうつす、なつかしの店よ。愴美なる知性も、失われし時間も、キェルケゴールの呻吟にはじまりし現代の痛苦も、おお、さては愉しきピエロよ。召しませ心のブルース。叡智と趣味高き人々の永遠のふるさとなる店、二〇・五世紀のささやきとアトモスフェアの店、その甘き風味の店、「さゝの枝」こそあなたの訪れを待つ。かそけくもこそ。
これがシンちゃんの開店披露の印
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