けるな。アンコウの目鼻をナマズのカクに刻みこんだそのお前だ」
「エッヘッヘ。主観の相違だねエ。わからない人には、わからないものだ。つきましては、サの字に申しあげますが」
「なんだい、サの字てえのは」
「それはアナタです。この正月に芸者の一隊が遊びに来やがったじゃないか。そんとき、文学芸者の小キンちゃんが文学相撲の五郎ちゃんに対決しようてえので、論戦がありましたよ。小キンちゃんの曰くサルトルはいかゞ、てえ時に、関取なるものが答えたね。ハア、サルトルさん。二三よみましたが、あれは、いけません。そのとき以来、サルトルさんと申せば近隣に鳴りとゞろいております」
「なにを言ってやがる。お前じゃないか。せんだっての小学校の卒業式に演説しやがったのは。これからは、民主々義、即ち文化の時代である。もはや剣術は不要であるから、芸術を友としなければならぬ。剣術も芸術も、ともに術である。ともに術だから、どうしたてんだ。ワケのわからないことを言いやがる。我々は江戸キッスイの町人の子孫であります。我々の祖先も剣術も知らず、芸術を友といたしたのである。そのころもエロであった。然し、諸君よ、エロも芸術でなければならぬ。これぞ今日の我々に課せられた義務であります。バカだよ、お前は」
「エッヘッヘ。古い話はよしましょう。然し、サの字に申上げますが、この犯人はエラ物だね。相撲の店だから、腕自慢、これは筋が通っているよ。江戸前トンカツ、これが、いい。ヤンワリと味があるね。サルトル鮨なんてえ店をはじめやがったら絶交しようなどゝヨリヨリ申し合せておりましたよ。千鳥足、また、これが、いいね。つまらない意地をはるのは江戸ッ子のツラよごしだから、およしなさい。これは犯人なんてモノじゃなくて、然るべき学のある御方があの男も可哀そうだ、世のため人のためてんで、はからって下さったんだ。千鳥波なんて、月並なシコ名にとらわれるのは、いゝ若い者の恥ですよ。千鳥波か、バカバカしいや。墨田川に千鳥がとんでた、お相撲だから錦絵にちなんだのかも知れないが、時代サクゴというものです。アナタだって、ダンスのひとつもおやりのサルトルさんじゃありませんか」
 と言ったのは質屋のシンちゃんで、そのために、こやつテッキリ犯人め、と千鳥波の恨みを買うことになったが、本当の犯人はシンちゃんではなかった。
 紺屋のサブちゃんが犯人であった。ひょいと思
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