を暮しがちな日本人には、やらうと思へばやれた行為の現実性は甚だ多い。ABCDの行為をA'[#「A'」は縦中横]B'[#「B'」は縦中横]C'[#「C'」は縦中横]D'[#「D'」は縦中横]に飛躍せしめて表現することが、「小説の真実」の中では充分可能であるし、寧ろその方が明瞭に辛辣に的確に表現しうることが多い。ところが日本の文学ではレアリズムを甚だ狭義に解釈してゐるせゐか、「小説の真実」がひどくしみつたれてゐる。まるで人物の行為を出し吝しんでゐるやうである。バルザックやドストエフスキーには其れがない。その作中の人物はA'[#「A'」は縦中横]B'[#「B'」は縦中横]C'[#「C'」は縦中横]乃至A''[#「A''」は縦中横]B''[#「B''」は縦中横]C''[#「C''」は縦中横]の飛躍の中で、現実よりも寧ろ高い真実性と共に完膚なくのたうち廻つてゐる。私には、それが甚しく羨しく、かつ啓発されるのである。自分の生活を有りのままに書くやうな芸のない真似はしない。彼等の芸術は現実よりも飛躍した芸術的真実の中にあるのである。同時に、悪魔をも辟易せしめるに相違ない、刳《えぐ》るが如き眼光を見たまへ。ただ一人の人物を頭の
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